2018年1月16日 更新

僧侶「三浦性暁」による役に立つ法話 『人生は旅』〜目的地と現在地〜

都会の駆け込み寺『寺カフェ代官山』。仏様の智慧をヒントに共に悩み、語ることで心の安らぎを共にしたいと願う、お坊さんのお話をお届けします。今年最初のお話しは“人生“という長い旅についてです。

『人生は旅』〜目的地と現在地〜

明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

さて、私は先輩などから「人生は旅だ」という言葉をよく聞かされてきました。

山あり谷あり、花咲き乱れる野原あり、旅には色々なことが待ち受けています。
人生もまさに旅ですね。

「旅」には色々な意味が含まれていますが、そのひとつに確かな「目的地」があることを旅というのではないでしょうか。
年末年始の様子をテレビで観ていると、多くの人が旅行に出かけたようです。

最近は、手軽に旅行が楽しめるようになり、国内はもとより海外にも多くの人びとが出かけて行きます。
しかし、そのような旅行にも九州なら九州、北海道なら北海道というふうに確かな「目的地」があります。

もし、目的地なしにただ歩き回るのであれば、それは「流浪(るろう)」と言って、決して「旅」とは言えません。

それでは私たちの人生を旅になぞらえるとしたら、人生の目的地はどこでしょう。

私たちはどこへ行こうとしているのでしょうか。
正直なところ、私にはそのことがはっきりしません。

ちょうど行き先の分からないバスに乗っているようなもので、どこを走っているのか、どこへ行こうとしているのかわからない、大変不安な状態のままです。
そうした中で、人生の目的地を見いだそうとするのですが、自らの力では未だ見つけ出すことはできないでいます。

また、自ら見つけ出すことが出来なければ、人にでも聞けば良いのですが、「私はどこへ行くのでしょう」などとは、プライドが邪魔して聞けるものではありません。

偉そうに人生は旅だなどとは言っていられないのです。
そんな私を見かねて、あなたの人生の目的地は「お浄土(じょうど)」だとお示しくださるのが、阿弥陀さまです。

人生の最大の不安を取り除かんとはたらいてくださるのが、阿弥陀さまのはたらきであり、浄土真宗のみ教えです。

しかし、確かな目的地が見つかったとしても、ただそれだけではそこへは行けないのではないでしょうか。

私は、よく都心に出かけるのですが、その繁華街ではもうどちらが北やら東やら、右も左もわからなくなってしまいます。

また、「十年一昔」とよく言われますが、そうしたところでは一年一昔、いや半年一昔の所もよく見かけます。
行くごとに様子が変わっていて、さらに分からなくなってしまうのです。

私はそんな時、必ず各駅の周辺を描いた案内図を見ることにしています。

先ず目的地とするビルなどをその地図から捜し出します。
しかしそれだけではどうにもなりません。

もう一つしなければならないことがあります。

それはそうした地図には必ず載っている「現在地」を見つけ出すことです。

その地図に目的のビルが載っていても、この現在地が書かれていなければなんの役にも立ちません。
いま私がどこにいるのか、どちらの方向に立っているのか、それが分からなかったらいくら目的地が分かっても、そこには行けないのです。

つまり、そこへ行くための「道」が出てきません。

目的地と現在地を見比べて、はじめて目的地へ行く「道」が明らかになるのです。

私たちの本当の姿を知らしめ、人生の確かな道を示していてくださるのが阿弥陀さまです。
これこそが、※凡夫(ぼんぶ)の歩むべき浄土への道。

それは、凡夫が歩む道ですから、誰もが歩むことのできる道です。
ただ一人で歩む道ではありません。

あらゆる人々と共に、手を携えて支えながら歩む道です。
「人生は旅」、まさに山あり谷ありだからこそ、「南無阿弥陀仏」の名号となって私たちの人生に寄り添っていてくださるのです。

人生にお浄土という確かな目的地をいただき、現在地をしっかりと見据えながら、確かな道を歩む一年でありたいと思います。
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